桃から生まれた男の子が犬・猿・雉(きじ)を連れて鬼退治に行く、日本人ならだれもが知る桃太郎の物語。
桃太郎伝説の地は全国にいくつもあり、高松市もその一つ。高松の桃太郎伝説は、地元小学校の教師だった橋本仙太郎(はしもとせんたろう)氏が時の内閣総理大臣・大隈重信の言葉から着想を得たものです。
「鬼無(きなし)」には鬼がいない?
1914年、大隈重信氏が琴平に向かう汽車で鬼無駅に立ち寄ります。
折しも明治後期に高松-丸亀間に讃岐鉄道(現:JR四国)が通り、沿線の人々は街の発展に期待を寄せていた時代です。
大隈氏は演説で「ここはオニナシかと思えばキナシか、面白い地名だ」と言います。
この言葉をきっかけに橋本氏は郷土史の研究を始めます。
橋本氏によると、もともと鬼無に伝承されてきた桃太郎は、886年に讃岐に赴任した菅原道真(すがわらみちざね)が地元漁師から海賊征伐の話を聞いて物語に仕立てたもの。
橋本氏は、それをもとに高松の地名や地形を結びつけて、1930年に四国民報(現:四国新聞)に「童話『桃太郎』の発祥地は讃岐の鬼無」を発表し、高松版の桃太郎が誕生しました。
この桃太郎は、紀元前200年ごろに実在したと言われる7代孝霊(こうれい)天皇の皇子・稚武彦命(わかたけのひこのみこと)がモデル。鬼は女木島を拠点にしていた海賊。稚武彦命が讃岐に訪れた際、この地の人々が海賊の悪行に困っていると聞き、雉が谷(かしがたに)(香川県高松市鬼無町)、猿王(さるおう)(香川県綾川町)、犬島(岡山県岡山市)の勇士を従えて鬼を征伐したとされています。
桃太郎伝説の舞台を巡る
鬼無観光協会・北谷悌邦(きただによしくに)さんと鬼無共同自治会・花澤利男(はなざわとしお)さんが桃太郎ゆかりの地を案内してくれました。
桃太郎神社
稚武彦命が祭られた熊野権現(くまのごんげん)は、桃太郎神社を名乗ることが許された全国6社のうちの一社。
祭りの日にだけ公開する拝殿内には絵馬や凧が展示されています。
境内には桃太郎のお墓と、その隣には犬・猿・雉のお墓が並んでいます。
おじいさんとおばあさんは縁結びの神様として祭られています。
地元にとって桃太郎神社は子どもたちの成長を見守る拠り所。毎年3月に開催される桃太郎まつりでは相撲大会や長なわ大会が行われ、子どもたちで賑わいます。
拝殿公開日
元日祭り | 1月1日・2日・3日 |
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おみかん焼き | 1月中旬 |
きなし桃太郎まつり | 3月最終日曜日 |
春祭 | 4月7日・8日 |
秋祭 | 10月第2土曜日・日曜日 |
鬼ヶ塚(おにがづか)
女木島で降伏した鬼たちは、鬼無に仕返しにきます。桃太郎は鬼を返り討ちにして丘に埋葬しました。その丘が鬼ヶ塚です。
「昔は周囲に家がなく、子どもにとって少し怖い場所だった」と花澤さん。
春には満開の桜でピンク色に染まります。
大古家(おおふるや)
大古家はおじいさんとおばあさんの家があった場所。
昔は物語に登場しそうな茅葺屋根の民家でした。
※居住者がいるため敷地内の見学はできません
本津川(ほんづがわ)
おばあさんが洗濯をした川。
おばあさんはここで船で上がってきた稚武彦命と出会いました。
柴山(しばやま)
おじいさんが柴刈りに行った山。
柴刈りとは、焚き木に使う枝を拾い集めること。柴山には桃畑が広がっていたそうです。
庵治石(あじいし)製の桃太郎電鉄の石像
鬼無駅では、ハドソン(現コナミデジタルエンタテインメント)が開発した人気ゲームソフト「桃太郎電鉄」のキャラクターが訪れる人を迎えています。
これは桃太郎の物語を描いた江戸時代の屏風(個人蔵)。
女木島の鬼ヶ島大洞窟は鬼のすみか
高松港から約4km沖に浮かぶ女木島。鬼ヶ島大洞窟は標高188mの鷲ヶ峰(わしがみね)の真下にあります。
橋本氏は1914年に女木島で大洞窟を発見し、これを鬼のすみかと位置づけました。四国民報の桃太郎伝説の発表後に注目を浴び、1931年に鬼ヶ島大洞窟が公開されると女木島は鬼ヶ島として一躍有名観光地に。
発見時は雑草で覆われていて、一見しただけでは洞窟と分からなかったそう。入り口は小さいですが洞窟の長さは約400mもあり、いくつもの道が分岐しています。
ノミで人工的に削られた跡が見られ、古代の採石跡とも、海賊のすみかとも言われています。
現在は大広間や鬼の番人の控室などが再現され、鬼退治の物語が体験できます。
島内では色んな鬼たちにも出会えますよ。
取材協力
高松市文化財保護協会 今岡重夫さん
鬼無観光協会 北谷悌邦さん
鬼無共同自治会 花澤利男さん
桃太郎神社
- 住所
- 香川県高松市鬼無町鬼無848
鬼ヶ島大洞窟
- 住所
- 香川県高松市女木町235
- 営業時間
- 8:30-17:00 ※入場は16:30まで
- 定休日
- 年中無休
2023.12.14